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静岡地方裁判所 昭和52年(ワ)134号 判決

原告

山崎修一

右法定代理人親権者

山崎忠雄

原告

山崎忠雄

右原告ら訴訟代理人

藤森克美

被告

静岡県

右代表者知事

山本敬三郎

右指定代理人

小野隆

外五名

右被告訴訟代理人

御宿和男

主文

被告は、原告山崎修一に対し、金二二二八万七九三七円及び内金二一〇二万七九三七円に対する昭和五一年六月一六日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告山崎忠雄に対し、金一七五四万一一七一円及び内金一六九一万一一七一円に対する右同日以降支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告山崎修一に対し、金四〇〇六万八三二三円及び内金三八七三万四九九〇円に対する昭和五一年六月一六日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告山崎忠雄に対し、金二一四三万一三六六円及び内金二〇七六万四六九九円に対する右同日以降支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事件発生に至る経過

(一) 訴外A(以下「A」という。)は、昭和四九年三月六日、静岡市小鹿一丁目所在の静岡済生会病院(以下「済生会」という。)腹部外科診察室において同病院長医師岡本一男を、所持していた果物ナイフで突き刺し、同人に対し右肺及び肝臓に達する全治二か月の刺創を負わせたが、精神分裂病と診断され不起訴処分となつた。静岡県知事は、同月八日精神衛生法二九条一項に基づきAを同法の自傷他害のおそれがある精神障害者と認め精神病院第二駿府病院に措置入院させる措置をとつた(以上の事件を以下「前回事件」という。)

(二) Aは、昭和五一年二月一六日右病院から精神病院静岡県立病院養心荘(以下「養心荘」という。)に転入院し、医師高橋俊彦を主治医として治療を受けた。同医師はAが寛解状態に至り、自傷他害のおそれが消失したと判断し病院長酒井正隆の許しを受け、Aを同年五月二六日から入院を継続させながら昼間だけ静岡市八幡二丁目所在の金属塗装工業所に通勤稼働させる院外作業療法(以下「本件院外作業療法」という。)を開始し、翌六月からは医師木村明夫が主治医となり、同じ判断のもとにこれを継続していた。〈以下、事実省略〉

理由

一本件事件発生に至る経過

1  請求原因1(一)、(二)の事実及び同(三)の事実のうちAが昭和五一年六月一六日廣子を殺害し、現在措置入院患者として養心荘に入院中であることは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

Aは、昭和五一年六月一六日朝、養心荘を出たが勤務先に向わず済生会の岡本院長殺害の決意を抱き、清水市内に赴いて果物ナイフを買い求めた後静岡市内に戻り、同日午前一〇時五〇分ころ済生会北館一階腹部外科外来診療室に侵入し、診療中の岡本院長に襲いかかつた。しかし、看護婦の廣子が危険を察知し右院長を室外に逃がしたので同院長の殺害を果すことができなかつたところから、同女に対し咄嗟に殺意を生じ、右ナイフで逃げようとする同女の胸部を突き刺し、倒れた同女の背中や腕を四〇数回突き刺し、同女に多数の刺創を負わせ、同女をして同日午後二時ころ、同病院において失血死させた。右事件につきAは精神分裂病による犯行として不起訴処分となり、現在養心荘に入院中である。

二Aの病歴と治療経過等

1  前回事件以前

(一)  請求原因2(一)の事実のうちAが、昭和三四年済生会で椎間板ヘルニアの手術を受けたこと、済生会に対する被害妄想を抱いたこと、精神病院に入、退院を繰り返したことは当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

Aには家系上比較的濃厚な精神疾患の遺伝負因があり、昭和三三年同人が二〇歳になつたころ腰痛が起つたので、同人は翌三四年八月済生会に入院し椎間板ヘルニアの手術を受けたが治癒をまたず退院し昭和三六年一月二〇日腰痛を訴えて済生会に再入院したのであるが、そのころには被毒妄想、被害妄想及び幻聴が生じるなど精神分裂病の症状が発現していた。そして、主治医に粗暴な言動に及んだため済生会を退院させられたが、その後、自閉状態となり了解不能な言語動作があり、易怒的となつたので家族により短期間精神病院第三駿府病院に入院させられた。右病院を退院後腰痛の治療を受けるため整形外科病院に入院したが、妄想が生じ、粗暴異常な行動に及んだため、七月二〇日精神病院第一駿府病院に入院させられた。翌三七年三月寛解退院し静岡市内の料理屋で働いたが、すぐに妄想、幻聴が発現したので、同年五月一九日から昭和四二年一一月九日まで第一駿府病院に措置入院させられた。退院後短期間妄想、幻聴の発現をみなかつたので、一応就職することができたものの、やがて腰痛を訴え昭和四四年一二月ころから妄想、幻聴が再発したため、翌四五年四月二七日第一駿府病院に措置入院させられ昭和四六年一〇月七日まで在院することとなつた。

右病院を寛解退院後、同病院及び済生会に通院しながら実家の農業を約一年間手伝い、その後パチンコ店に勤めたが、昭和四八年四月ころ幻聴が再発したため退職した。そして、同年一〇月ころ被害妄想が発現し情緒が一層不安定になり、同年一一月済生会の精神科で受診した際には「済生会の機械が自分に対し死んでしまえとか殺してしまえとか言つている。」「自動車のクラクションが一つだと消えない。二つだと消える。三つだと死んでしまえと言つて機械が意地悪をする。」といつた内容の被害妄想と幻聴とを訴えていた。Aは、昭和四九年二月ころ、家族に、済生会で身体を害なわれたと不満を述べ、済生会院長を殺したいと言つて母にたしなめられたこともあつた。やがて、「済生会再入院時に腰の手術をしていれば頭がおかしくなることはなかつた。長期間頭や身体を痛めつけられてきた。機械が音を出して苦しめた。」「院長を殺せば機械は止まる。」「機械が病院へ行け、院長を殺せと言い、自分の意思は認められない。」といつた内容の被害妄想と幻聴に支配されるようになり、済生会院長を殺害することを決意し同年三月六日前回事件を惹き起こした。

2  第二駿府病院におけるAの症状等

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

Aは昭和四九年三月八日第二駿府病院に入院した後、クロールプロマジン一日三〇〇ミリグラム投与等の薬物療法と精神療法を受け、病状が鎮静している時には家族に付添われて外出や実家に試験外泊することも許された。

Aには入院当初から済生会の機械に関係する被害妄想と幻聴がみられ、同年一〇月心身の状態が比較的良好な時期においても、済生会の機械に関係する被害妄想は消失していなかつた。そして、翌昭和五〇年一月病勢の推進があり、「夕方になると機械が電波をよこす。」といつた内容の感情の緊張、興奮を伴う妄想が顕著になり、昭和五〇年一二月当時にも済生会で受けた手術に関係する訴えがみられていた。また、Aには入院当初から心気妄想、疾患妄想とみられる身体の異常を訴えることが多く、昭和五〇年三月ころ膀胱が破れ尿が流れてくると訴えたり、同年一一月ころ脳波がないと言つたり、翌一二月ころ正座するので左足が十センチメートル長くなつたと訴えたりした。腰痛については、悪化、好転が定まらない状態で訴えが持続し転院直前の昭和五一年二月一二日ころにも残存していた。そのほかAには入院中被毒妄想の発現もみられた。

田中医師は、諸検査の結果とAの前記のような言語動作の観察及び病歴の検討に基づき同人を疾病妄想と被害妄想とを主症状とする妄想型の精神分裂病と診断していた。

ところで、Aの病状は次第に軽快し、昭和五一年に入つてから訴えは少なくなり、情緒は安定し、疎通性も好転の徴候を示してきた。しかし、病識は欠如したままで、同年一月二六日にも妄想的思考がうかがわれた。

Aはかねてから退院を強く欲求していたが、かなえられなかつたため田中医師に対し不満を抱いていたところ、昭和五〇年九月ころから執拗に退院を要求するようになり、興奮して田中医師に殴りかかり、保護室に収容され数日間抗幻覚作用の強いセレネースを注射された。

田中医師は、Aの強い欲求と同人が医師に不信感を抱くようになり、かつ、同人に被毒妄想の発現もみられたところから、Aの治療のため社会復帰に直結した治療方法を積極的に採用している養心荘に同人を転院させることを考え、昭和五一年一月養心荘に転院受入れを依頼し、同年二月一六日養心荘に転院させた。

3  養心荘転入病後のAの症状と治療等

(一)  本件院外作業療法実施前

(1) 請求原因2(三)の事実のうちAが単独で職業安定所に赴き求職の申込みをしたことは当事者間に争いがない。

(2) 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

養心荘では主治医がAを精神分裂病の疑いと診断し、同人に対し、クロールプロマジンを一日三〇〇ミリグラム投与する薬物療法と精神療法とを継続しながら、同人に対し社会復帰のため、生活指導、レクリエーション療法、作業療法、外出等を実施し数度の試験外泊も許し、次第に開放の度合を高めた。この間、Aには病的症状が殆んど認められなかつたので、主治医はAが寛解の状態にあり社会復帰の見込みがあると判断して同人の母親にAの退院を勧めたが拒否され、また、養心荘のソシアル・ワーカーに照会したが、適当な事業所がなかつたので、同年五月二六日以降、Aが職業安定所において一存で雇傭契約を締結した金属塗装工業所に同人を単独で通勤稼働させ同人に対する本件院外作業療法を開始した。

(二)  本件院外作業療法

(1) 請求原因2(四)のうちAが昭和五一年六月一五日、木村医師に対し金属塗装工業所をやめたいと訴えた事実は当事者間に争いがない。

(2) 〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

本件院外作業療法でAが通勤した事業所は静岡市八幡二丁目の車両の通行等都市騒音がかなりある場所に所在する金属塗装工業所で、Aは製品の整理運搬等の作業に従事していた。勤務時間は午前八時から午後五時まで、六月からは土曜日を除き毎日一時間の残業があつた。作業時間中機械の作動音があつたし、シンナーも使用されていた。通勤には市内繁華街を経由して片道約一時間を必要とした。Aはかねてから医師等に対し再三、腰痛を訴えていて六月五、六両日自宅に宿泊を許された際には母親に対し、勤務先で重い物を持つたりするので腰が切ないと訴え、同月一一日木村医師に対し、済生会で「手術により骨を取られたが、必要がなかつたのになぜ取つたのだろうか。」といつた内容の妄想性曲解とみられる訴えをしたし、同月一五日には前記のとおり院外作業療法がいやになつたのでやめたいと訴え退院を希望してもいた。

4  本件事件当時のAの症状等

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

本件事件後に行なわれた精神鑑定時、Aは幻聴、被害妄想、関係妄想、作為体験、支離滅裂症等を主徴とする精神分裂病の状態であつた。しかし、日常の行動は比較的常人に近く、情意鈍麻を伴う人格崩壊は顕著でなかつた。本件事件当時も、右鑑定時と同様の状態にあり、事理を弁別しその弁別に従つて行動する能力を欠如していた。なお、Aは鑑定医の問診に対し、済生会の機械に関係する被害妄想を訴え、本件事件の動機として「済生会の機械に脳波を止められ、心臓や骨を小さくされ、身体の形を変えられたので、済生会の院長を殺せば機械が止まると思つた。院長を殺して機械を止めようとした。」等と訴え、捜査官の取調べにも「昭和三七年ころから自動車のエンジンの音を聞くと機械の音が人を殺せと命令していた。養心荘に移ると自動車の音が少なくなり、機械の音も静かになつたが、勤めはじめて自動車のエンジン音を聞くようになると、機械の音が仕事の邪魔をしたり、人を殺せと命令するようになり、六月一四日ころから特にひどくなつた。機械が人を殺せば解放してやると言うので済生会の岡本院長を殺すことに決めた。清水で刃物を買い静岡の駅で休んでいるときも、済生会に着いて患者や看護婦のスリッパの音を聞いたときにも頭の中で機械が早く殺せ、早く殺せと言つていた。」と供述している。

5  以上のとおりであつて、Aは養心荘に転入院後、症状の軽快をみるに至り、本件院外作業療法開始当時、多少の疑念はあるものの同人の精神分裂病は、社会的寛解の状態となつたものとみてさしつかえないといえるところ、本件事件は、Aに対し本件院外作業療法を実施してから生活環境の急変、作業内容の変化等に同人が適応することができず、また、外界の刺激に誘発されて、同人に幻聴、被害妄想が生じ、前記のような症状の精神分裂病の悪化または再発を招いて、惹き起こされたものと認められる。

6  〈証拠判断略〉

三主治医らの過失

1  請求原因1(二)の事実、即ち養心荘の高橋医師が精神分裂病の措置入院患者であるAに対し、昭和五一年五月二六日から本件院外作業療法を実施し、同年六月からは同医師の後任者としてAの主治医になつた木村医師がこれを継続したこと、酒井正隆院長が本件院外作業療法の実施を許したことは前記のとおり当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すれば、クロールプロマジン等の抗精神病薬が使用されるようになつてから精神分裂病の治療は著しく進歩し、作業療法等薬物療法以外の治療方法に根本的な変革をもたらし、精神分裂病患者の社会的寛解の範囲を拡げたこと、そして、社会的寛解の状態にある精神分裂病患者に対し院外作業療法が比較的多くの病院で実施されるようになつていること、院外作業療法は、薬物療法を継続しながら、精神分裂病患者を病院の保護的環境から離して社会生活に戻し、そこで現われる状態を観察することにより的確な病状を把握し、退院及び予後のための治療方法を調整し、措置入院患者については自傷他害のおそれが消失したか否かの観察を深め、他方、患者に職業訓練を施し、社会生活の準備段階を経験させ、患者の社会復帰を促進する目的のもとに患者を治療の過程で病院から各種の事業所に通勤稼働させる治療方法で、すでに、一応の成果をあげていること、しかし、院外作業療法は、前記のとおり精神分裂病患者を一般社会の生活環境に置くものであるから、程度の差はあるものの、患者に対し、生活環境の急変、外界の刺激、作業内容や処遇の変化に伴う不安、心理的葛藤、欲求不満が生じることは不可避であり、病状を悪化させるおそれがあること、従つて、患者が社会的寛解状態にあると認められる場合にも、主治医は、地理的条件、環境その他周囲の状況等を検討したうえ、患者の能力、症状に適応し、精神的負担、緊張、肉体的疲労の比較的すくない作業に就かせることが可能な事業所を選び、場合によつては、事業所との間に密接な連絡方法を講じたうえで、患者を勤務稼働させ、勤務先における患者の状態、作業態度等を把握し、帰院後、患者に対し、生活指導、助言、精神療法等を行ない、院外作業中に生じた治療上の問題を処理する等十分に配慮したうえで慎重に院外作業療法を実施すべきことが要請されていて、病院によつては院外作業療法の基準が定められていることが認められる。

そして、特に、措置入院患者に対する院外作業療法の実施について、〈証拠〉によれば、患者を院外作業に出すことはさしつかえないが、あくまで治療的管理下に置かなければならないとしたうえで、治療的管理下ということは、患者を単独で院外作業に出してはならず、必ず病院職員が付き添わなければならないという趣旨の厚生省医務局長回答が存在するのであるが、精神病治療の実務では、この回答を、相当な治療的管理下に置くならば精神分裂病の措置入院患者に院外作業療法を実施してもさしつかえないとの意味に理解していることが認められる。

3  ところで、精神病の診断、治療方法の選択等については、ある程度、主治医の主観的な判断が入ることはやむを得ないところで、その判断は一般的に尊重しなければならないことでもあるから、前記のようなAの状態からすれば、主治医らがAの分裂病を社会的寛解状態にあるものとみて同人に対し院外作業療法を実施したこと自体は相当な治療方法であつたといえる。

4  しかし、社会的寛解状態にあると認められる精神分裂病患者に対し院外作業療法を実施する場合にも、常に主治医が前記のような配慮を払わなければならないことは当然のことであつて、特に、Aの精神分裂病は前記のとおり青年期に発病し約一五年間に及ぶ慢性的経過をたどり、済生会に対する被害妄想が漸次体系的となつていたのであつて、養心荘に転院直前の昭和五一年一月末ころにも病識が欠如していたし、妄想的思考が存在していた状態であり、養心荘においてもAの精神分裂病歴特に前回事件と深いかかわりのある腰痛の訴えが終始あつたほか妄想性曲解とみられる言語動作があつたのであり、また院外作業療法実施後Aは勤務先をやめたいと希望したのであるから、Aに対し院外作業療法を実施するに際しては、主治医としては右病歴、症状等に留意し、前記のような配慮のもとに、従事すべき作業の種別、内容、勤務時間その他の条件等を調整し、同人の能力、症状に適応し、かつ、同人に対する状態観察、管理が可能な事業所を選んだうえで同人を勤務稼働させ、また、作業療法実施後も同人に病状の悪化再発の徴候が現われたならば、これに即応して治療その他適切な措置が行なえるよう同人を常に養心荘の治療的管理下に置くべき注意義務があつたといわねばならない。

しかるに、高橋医師は、前記のとおり、Aの一存で、養心荘から比較的遠距離にあり何らの連絡体制のとられていない金属塗装工業所との間に雇傭関係を決定させたうえ、同人を一般人と同様の労働条件で、単独で右事業所に通勤稼働させ、証人高橋俊彦、同木村明夫の各証言によれば、本件院外作業療法中、Aを帰院後看護密度の高い閉鎖病棟に収容し、病棟内で看護職員にAの状態を観察させ、異常があれば主治医に連絡するよう指示し、主治医がAを一週に一、二回問診していたという程度で、他に、勤務先におけるAの状態を把握するための何らの方法をも講じていなかつたことが認められるし、木村医師もAが、妄想性曲解とみられる訴えをしたり、勤務先をやめたいと希望したにもかかわらず、右のような本件院外作業療法を継続していたことは前記のとおりであるから、右主治医らには、Aに対し本件院外作業を実施するにつき、養心荘の医師として同人を相当の治療的管理下に置くべき注意義務を怠つた過失があつたといわねばならない。

5  被告は、Aを本件院外作業に出すことにより妄想が再発することがあつたとしても、妄想がただちに殺人に結びつくものではないから本件事件の発生は予見し得なかつた旨主張する。

しかし、Aは、妄想、幻聴に支配されて前回事件を起こした措置入院中の精神分裂病者であつたし、済生会に対する被害妄想が構築されそれを主治医らが認識していたことは前記のとおりであつて、妄想の再発により本件事件のような結果を惹き起こすことは予見し得たといえるから右主張は理由がない。

また、被告は院外作業療法につき連絡体制のある事業所を選ぶか否かは治療上の選択の問題である旨主張しAに対し本件院外作業療法を実施したことにつきいくつかの理由をあげるが、右主張は前認定の注意義務に照らし採用の限りではない。

四被告の責任

1  高橋医師、木村医師が被告の地方公務員であり、静岡県知事の入院措置に基づき職務としてAの治療、管理にあたつていたこと(請求原因1(一)、(二))は当事者間に争いがない。

2  措置入院制度は、自傷他害のおそれのある精神障害者を知事の処分により本人の意思に反しても精神病院に入院させ、治療、管理を行なうものであるから、措置入院患者に対する治療、管理行為は国家賠償法一条一項にいう公権力の行使に該当するものと解されるところ、措置入院制度は、措置入院患者に対し適正な治療、管理を行なうとともに、これにより社会一般の安全を保障することをも目的とする制度であるから、右治療、管理の過程で、担当公務員の過失により治療対象者である患者以外の第三者に損害を加えた場合には、その担当公務員の属する都道府県は右条項に基づきこれを賠償する責任を負うものと解すべきである。

本件は前記主治医らが措置入院患者Aに対する治療、管理上の過失により本件事件を発生させ、原告らに損害を加えたものであるから、被告は原告らの被つた損害について賠償責任を負うものといわねばならない。〈以下、省略〉

(高瀬秀雄 松田清 中山顕裕)

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